「留学生」と名乗れるのはいつまで?~「留学生」扱いされることへの優越感と劣等感~

アメリカ

留学生としての恩恵

留学生の定義って私は日本生まれ日本育ち、アメリカは外国であり、留学生として身も心もいた。入学当初は留学生という肩書が一種のアイデンティティであり、何をしても許されるような、お守りのようなものだった。英語が聞き取れないかもしれないから授業を録音させてほしいと頼めば喜んで承諾してもらえた(分からないところは直接質問に行くので一度もレコーダーを聞き返すことはなかった)。日本から来たと言えば興味を持ってくれ、アニメや漫画の話をしてくれる人もいた(私はそれほど興味がないので相手の方が詳しかった)。エッセイの添削をしてくれるライティングセンターは、一般の学生に比べ留学生は予約が取りやすくなっていた。「留学生」。英語が母国語ではなく、勉強するために海外へ一時的に滞在している学生。

私は自分の事を留学生と自覚することによりたくさんの恩恵をありがたく受け入れ、また遠く離れた国で勉強する自分に酔いしれていたのかもしれない。私は皆よりつらい思いをしている。私は自らマイノリティになる環境に飛び込んでいるのだから尊敬されるべき。もしくは英語ができない言い訳、後ろめたさを「留学生」と名乗ることで隠していたのだろう。

世界的に名の知れた大学であれば見た目ではだれが留学生なのか分からないほど多国籍で、優越感と劣等感の混ざり合った感情とはまた異なる感情を持ったかもしれない。

しかし私の大学は学生数3000人、留学生はそのうち5%程度。そして留学生の中で90%は日本人という、グローバルでも多国籍でもなんでもない構成だった。

 

 

留学生であるという違和感

「留学生」のレッテルが苦痛に感じるようになったのは留学2年目に起きた。私はボランティアをする部活に所属していた。春休みを使って他の州へ行き、浸水被害に遭った住宅の修理をしに行った。出発当日の朝、集合場所である大学の駐車場へ向かった。そこには毎日大学内を清掃してくれているおばさん、おじさんがいて立ち話をしていた。私は近寄り「Hello」と挨拶をした。「どこへ行くの?」と聞かれたので、「ボランティアで住宅の修理に行く」と答えた。二人は「素晴らしいことだ。良い経験になるね。」ととても喜んでいた。

 

ある程度会話が続いた後、おばさんが私に向かって尋ねた。「Where are you originally from?」私はこの質問で一気に距離を感じた。おばさんは何も悪くない。私は日本から来たよ、と答えた。おばさんの息子さんが以前日本で働いていたらしく、大好きな料理やことばを教えてくれた。せっかく日本のことをほめてくれているのに、私はどこか上の空だった。そしておばさんは言った。「あなたの英語は上手よ、私の日本語よりも。」おばさんは日本語を話さない。ああ、私の英語はまだまだなんだなあ。会話はなんとかできても、意思疎通ができる程度。日本語がネイティブの人に「あなたの日本語上手ね」なんて言わない。それと同様に私の英語は「外国人として」よく使えている、ということなのだろう。外国人であるということ前提にして会話されていることがなぜかすごく悲しかった。英語がネイティブ同様に話せる、というのはいろいろな要素がある。ネイティブといってもイギリスとアメリカでは全く異なるし、英語話者は非ネイティブなしでは成り立たない。さまざまなアクセント、イントネーション、言葉の選択がありそれが当たり前である。頭でわかっていても、私は周りの学生が話す英語とあまりにも違う私の英語がコンプレックスだった。彼らと同じように話せるようになりたいという思いと、話しても通じないかもしれない、「異質」な英語を聞かれるのが恥ずかしい、といった思いが混ざり合って「お願いだから私に話しかけないで」という拒否感、孤独感を自ら醸し出し自分を疎外しようとするようになってしまった。

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